ボールを奪う
奪ったボールを前へ運ぶ
ゴールへと突き進む
【プレナスなでしこリーグ第15節】
TASAKI 3-1 伊賀
■得点 大石 阪口 甲斐
プレースタイルと同じように
彼女たちは前へ前へと突き進む。
たとえどんな状況であとうと。
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前回のエントリから色々と考えました。
そりゃ最初は「何してくれんだ!
とか思いましたが
よくよく冷静になり、よく考えてみた結果
僕の中でひとつの結論を導くことができました
一サポとして、田崎真珠を批判することは僕にはとてもできないです。
1989年、日本女子サッカーリーグ元年
現在の女子サッカー・なでしこジャパンに通じるスタートライン
途中、バブル崩壊によるリーグ暗黒時代を乗り越え
現在まで女子サッカーをサポートし続けた田崎真珠。
当然、今回の休部によって所属選手のプレー環境といった問題は発生しますが、考えてもみれば、プレー環境が保障されている選手というのはプロ契約を結んでいるほんのごく僅かな人数であり、他チームの選手はバイト・パート生活をしながらサッカーを…というのが現状です。
正社員として雇用していた田崎真珠の環境は、女子選手がサッカーを続ける場として際立ったものだったという事実が、今になってより鮮明に浮かび上がります。
経営陣の交代、という事態にならなければ、今後もチームは存続し続けていたことでしょう。
経営努力、という意味で批判は受けざるを得ないでしょうが、女子サッカーをサポートしてきた事実は寧ろ称賛されるべきであり、私は責めるべきではない、と思います。
では、市民クラブとしてペルーレを独立化、スポンサーとして田崎真珠はチームを支える、ということはできなかったのか。
これは1991年にチームが田崎真珠に移管される前のペルーレの姿そのものであり、経営悪化の前にこうした形をとっていたとすれば、それこそチームの「放り投げ」、ペルーレを見切った、という印象を社会全体に与えていたでしょう。
そもそも市民クラブとして成功するためには健全たる独立運営が根本的に必要で、その上で地域密着が鍵となってくるので、日本代表選手を多く抱え、用具サプライヤーとしてミズノを迎ることができているという現状を上回る戦力・チーム運営力を、市民クラブが保持できたかは未知数であり、おそらくその可能性は相当低いと思われます。
現在もチーム移管先が見つからず、受け入れ先として誰も手を挙げない・たがらないのは、ビジネスとして成功させることが難しいという女子サッカーの現状そのものの問題が包括されていからです。
こうして考えると、田崎真珠は、存在するあらゆる可能性の中で最もペルーレを護ることができる方法を選んだのではないか。
僕の結論はそこに行き着きました。
僕なりの意志表示として、田崎真珠に対する感謝の意をここに表したいと思います。
ただ、最後のお願い。
たとえチーム名が変わろうと、彼女たちが同じメンバーでサッカーを続けることができる環境を、11月23日その日まで模索し続けてほしい。
最初は「TASAKIペルーレFC」が無くなる、という事実だけで十分だったけどそれはサポとしての気概であって、選手たちがいちばん悲しいのは監督・コーチを含めて同じメンバーでサッカーができなくなる、という事実なんだと思う。
もし移管先が見つかったとしても、TASAKIペルーレサポーターである自分がそのチームを応援できるかどうかはわからない。
けれど、ペルーレのサッカーを観てきた人間として、同じメンバーでこれからもサッカーをさせてあげたい。
どうか。どうか。
そしてTASAKIペルーレFCが最後を迎える、その時まで僕は応援し続けます。